ヘイトスピーチ規制の可能性

アメリカのような判例法の国では、裁判所での判例の積み重ねで法が形成されていく。したがって、裁判所は、社会の変化に応じた政策形成の役割を担っている。 これに対して、単一法典の法解釈を重視する日本のような大陸法の国では、一般に裁判所に政策形成機能は期待できないと考えられている。
■しかし、日本でも裁判所がそれなりの政策形成機能を果たしてきたことはかねてから指摘されてきた。以下、ダニエル・フット『裁判と社会』(NTT出版)で取り上げられている事例について見ておこう。
■例えば、公害規制などは典型的な事例であるという。いわゆる四大公害について裁判所は、一般的な不法行為を定めた民法709条を根拠に、判決を下し、画期的な公害防止体制をつくりあげた。具体的には、原告側が因果関係の連鎖を証明せずとも、被告の工場に無過失責任を負わせることを、民法709条を根拠として認めたのである(四日市ぜんそく事件)。
■また、雇用機会均等も裁判所が政策形成をした事例である。具体的には、女性授業員の退職事由に結婚を含めることについて、民法90条を根拠として、男女差別であると裁判所は判断を下した(住友セメント事件)。
■このように、新たな社会問題について行政や立法が十分に対応できていない状態において、裁判所は新しい社会規範の形成に積極的に関与してきた事例が散見される。たとえ日本の裁判所であっても、制定法の解釈だけという消極的な役割だけではないという点を忘れてはならない。
■そこで、9月16日に始まった京都朝鮮学校に対する「いやがせ」事件である。原告の弁護団は、在特会のメンバーらを単なる威力業務妨害名誉毀損だけでなく、差別的言論に対する新たな規範形成も視野に入れていると言われている。裁判所がこうした原告の意図をどの程度踏まえて、訴訟指揮を行っていくのか、最終的な判決を下していくのか、現時点では全く不明である。
■ただ一つ言えるのは、この裁判自体は大きな契機になることは確かだたということである。心苦しい言い方だが、原告の希望通りにいかなかったとしても、この裁判をきっかけに、差別的言論をいかに規制するかということは大きな社会問題にならであろう。それが法規制という強固な体制に結びつくかどうかまでは別にして、争点として注目されることは間違いない。先に示した事例のように、裁判所が、今社会で望まれる新たな規範形成に積極的な役割を果たしていくことを望まずにはいられない。

参考文献
ダニエル・H・フット『裁判と社会』(NTT出版、2006年)