安田浩一「レイシズムの現場を取材して」を聴いてきた

■在日韓国YMCA青少年センター連続講座「移住者のリアリティ」第4回 12/4「レイシズムの現場を取材して〜社会を息苦しくするものはなにか」安田浩一 に参加してきた。
セミナーの内容は概ね『G2』の記事に沿ったものであったが、安田氏がなぜ在特会らを取材しようと思ったのか、その動機などについても、詳しく、そしてなにより熱く語られた。
■彼らの主張がいかに荒唐無稽、陰謀論の類に過ぎなくとも、彼らの活動の動機については一定の共感を覚える。安田氏はそのようにスタンスを明確にしていた。例えば、『G2』の記事でも言及された、高校時代の桜井の姿にしても、ご自身の学生時代の境遇に重ね合わせながら、理解しようとする姿勢を示した。
セミナーにおいて、印象に残っているのは、「ネット右翼と一般人の間にどれほどの差があるのか」という発言である。例えば、近所に住む外国人についてひそひそと陰口をたたく、そのような風景に日常的に遭遇する。在特会らの考えと「一般人」の距離は驚くほど近い。安田氏は、浜松市における外国人についてのデマがいかに広汎に広まったのかといった事例に言及しつつ、この点を強調した。
■つまり、安田氏は、在特会らを「日本の右傾化」と見なしてはいない。むしろ、ごく普通の一般市民が持つゼノフォビアと地続きな現象とみなしている。長年外国人労働者問題を取材してきた安田氏の経験であるだけにこの言葉は重い。
■とはいえ、「一般市民」は「朝鮮人東京湾へたたき込め〜」などと公衆の面前で騒ぎ立ててことはしない。在特会らに参加するメンバーには、それぞれの動機がある。安田氏はそれを、疎外感とネットの普及から説明していた。
■前者については、『G2』の記事を読んだ者、あるいは在特会の観察者にとっては多言を要さないであろう。後者についても、ネットで初めて自分の意見を言えるようになった、「言論の自由を得た!」という充実感、仲間を見つけられた喜び。その内実は異なれども、誰もが経験しうるような動機を彼らは持っているにすぎない(それはネットによる発言の平等化、民主化と言ってもよい)。
■もちろん、外国人に対しての憎悪を全くの個人的経験から引き出すものもいる。例えば、中国での就労時に抱いた中国人に対する恨み、反日デモの遭遇。(在日コリアン系と思われる)暴力団とのいざこざ。そうしたもろもろの経験から、あのような暴力的な行動が引き起こされる。そうした事例についても安田氏は言及した。
■さて、桜井誠はどうであろうか。『G2』の記事では彼の高校時代について綿密な調査が記録されているが、その後の職歴や来歴については一切が不明である。安田氏はそれを概ね把握しているが、人権等への配慮から公開しないとした。
■ただし、その「輪郭」だけは提示してくれた。安田氏によれば、桜井は在特会以外のところで決して陽の当たる、賑やかな、華のある場所にいたことはない、「彼から在特会をとったら何も残らないのではないか」と感じているという。
■そして、『G2』の記事の最終部も大きな示唆を与えている。ニューヨークタイムズに載った「職業は会計士」という事実は本当かという質問に桜井は答えなかった。おそらくその質問を投げかけた時、安田氏は本当の職業を既に知っていたはずだ。
■「決して華やかな場所にいたことはない」という安田氏の話を聞きながら、在特会ウォッチャーであれば、誰しも思い出すであろう、あの放送を想起していた。シャンパンについて語り、生ハムについて講釈する彼の姿を。私は実のところ正直涙ぐんだ。

(続く…かも)

「『在特会』の正体」雑感:在特会桜井誠よ、自らを語れ

安田浩一氏の「『在特会』の正体」『G2』vol.6(講談社)を読んだ。これまでその活動の表層的な部分しか、あるいは憶測のような形でしか取り上げられてこなかった、在特会のメンバーについて初めて本格的なルポタージュである。在特会が取材を完全許可制にしてしまったため、今後はこのような取材はもう出来ないかもしれず、そういう意味でも貴重である。
■このルポの優れたところは、在特会の活動が排外主義であるなどという以前に、会に参加するメンバーたちの動機について注意深く聞き取ろうとしている点にある。つまり、社会学的な見地からしばしば言われる、「社会経済的に恵まれていないこと」、「保守主義的な態度」といった排外主義の説明要因は一先ず置き、メンバーのそれぞれが、明確に、あるいはふと漏らす「不安」について聞き取ろうとしている点にある。
■ルポに登場する在特会のメンバーに共通して言えるのは、会長の桜井を初め、身近に心を許せる、自分の考えや悩みを共有出来る知人や友人関係が希薄なことであり、会に活動することで初めて「友人」を得たということである。
■率直に言えば、在特会のメンバーがそうした傾向を持っていることは、彼らを少しでもウォッチしていれば誰もが想像するであろうことであり、ある意味では在特会ら自称「行動する保守」を観察しているウォッチャーからすれば、「常識」の範疇に属するようなことであると思う。そういった意味では、安田氏のルポに「驚き」はない。勝手な推測だが、それは安田氏自身も自覚されていることと思う。それは、特に今回のルポにおいて最も重要な箇所といえる、在特会会長桜井誠の来歴についても同様だ。高校時代の桜井のエピソードなどを含めて、それが明らかにされたこと自体は貴重ではあるけれども、やはり「驚き」はない。安田氏自身もそこに力点を置いていないであろう。
■私の考えでは、このルポは在特会、そして何よりも桜井誠に対する「挑発」である。「お友達」の中だけで流通する「知識」や「言葉」でなく、他者とぶつかり合えと。君たちは、一度でもそういう経験があるのかと。思えば、かつて行われたロフトプラスワンのイベントに参加した桜井は「ここには来たくなかった」と言い放った。彼は、「お友達」でない他者とふれあうことを恐れたのだろう。

■さて、それを彼らの卑小さとあげつらうのは簡単である。彼らの言動は誠に許し難いが、それを単純に切り捨てることも出来ないように思う。われわれは、彼らの「不安」を理解したつもりになっているけれども、それを本当に理解し、想像するまでには至っていないのではないか。
■かつて、鵜飼哲在特会について触れた座談会で以下のように述べた。

在特会の若者をどう想像すべきか。向こうは我々のことを想像する努力などしないでしょうが、そこのところでこちらとしては想像する努力をもって対峙することが今非常に重要なポイントになってきているような気がします。『インパクション』174号、33頁

■率直に言って彼らと果たして理解することはできるのか、「キムチくさい」などと罵る連中と対話などできるのかなど疑念はつきない。実際に被害者がいる中で対話などという悠長なことを言っている場合かという意見もあろう。しかし、彼らの活動を法的に規制し、追い込むだけでは、決定的に何かが足りない。今の自分に答えは出せないが、その違和感だけははっきりと述べておきたいと思う。
■いずれにせよ、われわれはまだ、桜井誠のことを理解出来ておらず、依然として謎のままであるということだけは確かだ。桜井よ、自らを語れ。そして対話せよ。われわれは、君とわかり合えないかもしれないが、共有できる何かをきっと持っているはずだ。

京都朝鮮学校いやがらせ事件、学校側の法的対応

■告訴
(1)威力業務妨害罪及び強要罪(組織犯罪処罰法)
(2)器物損壊罪及び名誉毀損

 以上の告訴状にもとづき、主要メンバー4名が8月10日に逮捕。8月31日には、威力業務妨害罪(組織犯罪処罰法)及び侮辱罪、またスピーカーのコード断線実行犯については器物損壊罪(暴力行為等処罰法)で起訴された。

人権救済申立
 京都弁護士会人権救済申立てを行う。

 以上の申立を受け、京都弁護士会は「朝鮮学校に対する嫌がらせに関する会長声明」を発表した

■仮処分・間接強制
(1)3月19日、在特会在特会等を債務者として街宣活動禁止等の仮処分申請(3月25日決定)
(2)3月31日、違反1回辺り100万円の仮払い金の支払を求める間接強制申立(5月19日発令)

民事訴訟
(1)6月28日、朝鮮学校側は在特会及び9名の主要メンバーらを被告として京都地裁民事訴訟を提起。
(2)請求の趣旨は、2009年12月4日、2010年1月14日、3月28日の各街宣活動等につき、1000万円の支払を求めるもの。
(3)9月16日に第一回口頭弁論が開廷。

※以上は、すべて康仙華「在日朝鮮人への差別感情をむき出しにした朝鮮学校嫌がらせ事件」『人権と生活』№31(在日本朝鮮人人権協会、2010年)による。

在日朝鮮人人権協会のシンポジウム

2010年10月2日(土)東京お茶の水で行われた、「今、在日朝鮮人の人権は?」(在日朝鮮人人権協会)に参加してきた。そこでの感想など。

■参加した人は老若男女様々だが、おそらく9割は在日の方。特に若い人(会話から朝鮮大学校の学生らと思われる)が多かったのが印象的。コメンテーターが若い弁護士中心だったということもあり、先輩にあこがれる法曹志望の人が多かったかもしれない。今年新司法試験に合格した人などの紹介などもあった。

■スピーチの内容は、朝鮮学校無償化、朝鮮学校事件、無年金訴訟の3つ。印象的だったのは、各種活動において、日本人の支援が多いことを強調していたこと。支援の広がりの手応えを大分感じているのかもしれない。もちろんまだまだ不十分ではあることはいうまでもない。

■いただいた資料は、在日本朝鮮人協会発行の機関誌など。朝鮮学校事件についても、今日のコメンテーターであり、原告の弁護団の一人である弁護士の論文で詳細に知ることが出来たので有益だった(『人権と生活』NO.31号(在日朝鮮人人権協会、2010年)。事件当日は幼稚部の児童が偶然にも不在だったため、ヘイトスピーチに晒されることはなかったという事実は少し安心させられた。

■質疑応答では、公園の使用経緯についての質問が出たが、まず弁護団として調査中であること、被告側が争点することは確実なので詳細は控えたいとのこと。ただ、ゲストスピーカーは当該学校出身者で「当時はあそこは学校のグラウンドだと思っていた(笑)」などと述べていた。

■なお、都市公園法違反で学校長が罰金刑になったことについては、学校側の方でいろいろいきさつがあるようである(公園の問題は早めに切り上げたいという思いから甘んじて受け入れた可能性もある)。ただし、弁護団としては、罰金刑自体は不当だと考えているとコメントしていた。

■ハングルが飛び交う中で私自身は質疑応答時間に質問することは憚られたので、終了後に直接いくつかお伺いした。詳細は省くが、在特会会長桜井誠について本名は把握しているとのこと(この点についてはまた改めて取り上げる予定)。

在特会名誉毀損罪ではなく、侮辱罪で起訴されたことは残念なことであるが、割と好意的に評価している雰囲気。ヘイトスピーチを規制する法律がない以上その点は仕方がなく、侮辱罪でもヘイトスピーチの犯罪性を問える点を前向きにとらえている。まあ、そうでないと困るのだが。

京都朝鮮学校嫌がらせ事件の概要

■事件の発端
2009年12月4日、「在日特権を許さない市民の会」と「主権回復を目指す会」(以下「在特会等」)のメンバーら10数名が京都朝鮮第一初級学校(以下「朝鮮学校」)に対して以下のような「嫌がらせ行為」を行う。

(1)スピーカーの電源コードの断線
(2)「返しにきた」などと称して、朝礼台やサッカーゴールの移動
(3)拡声器を用いたヘイトスピーチ
「学校の土地も不法占拠」、「我々の先祖の土地を奪った。戦争中男手がいないとこから、女の人をレイプして奪ったのがこの土地」、「これはね、侵略行為なんですよ。北朝鮮による」、「ここは北朝鮮のスパイ養成機関」、「犯罪者に教育された子ども」、「ここは横田めぐみさんをはじめ、日本人を拉致した朝鮮総聯」、「朝鮮やくざ」、「こいつら密入国の子孫」「朝鮮学校を日本から叩き出せ」「朝鮮学校、こんなものはぶっ壊せ」、「なにが子どもじゃ、スパイの子どもやんけ」「キムチくさいで」「約束というのはね、人間同士がするもんなんですよ。人間と朝鮮人では約束は成立しません」「日本に住ましてやってんねや。な。法律守れ」「端の方あるいとったらええんや、はじめから」などの言動を行った。

■事件当日の朝鮮学校
初級部の児童らが授業、他校との交流会を行っていた。詳細は不明であるが、先の「嫌がらせ」行為により、児童らが恐怖におびえたであろうことは想像に難くない。なお、不幸中の幸いだったのは、幼稚部の児童は課外授業に出ており学校内にいなかったこと。もし、幼稚部の児童らが校内にいれば、大きな心の傷を負っていただろう。

■12月4日以降の朝鮮学校の対応
ネット上で在特会等の街宣の告知が行われたことから、街宣予定日の予定を大幅に変更。幼稚班は課外保育に、初級部は課外授業にでるという措置をとった。


朝鮮学校側の状況については、すべて康仙華「在日朝鮮人への差別感情をむき出しにした朝鮮学校嫌がらせ事件」『人権と生活』№31(在日本朝鮮人人権協会、2010年)を参照。

フランス国民戦線

■動画
http://www.dailymotion.com/video/xf0qbk_gollnisch-quot-le-plus-apte-a-rasse_news

■愛国商品販売
極右ネクタイ、極右パンツ、極右Tシャツ、極右マウスパッド、極右ぬいぐるみ、極右テント、ルペン灰皿やライターなどを販売中。

http://www.boutique-fn.net/-c-21.html?osCsid=ph0617va9o9ufro9gq0vm73a04

ヘイトスピーチ規制の可能性

アメリカのような判例法の国では、裁判所での判例の積み重ねで法が形成されていく。したがって、裁判所は、社会の変化に応じた政策形成の役割を担っている。 これに対して、単一法典の法解釈を重視する日本のような大陸法の国では、一般に裁判所に政策形成機能は期待できないと考えられている。
■しかし、日本でも裁判所がそれなりの政策形成機能を果たしてきたことはかねてから指摘されてきた。以下、ダニエル・フット『裁判と社会』(NTT出版)で取り上げられている事例について見ておこう。
■例えば、公害規制などは典型的な事例であるという。いわゆる四大公害について裁判所は、一般的な不法行為を定めた民法709条を根拠に、判決を下し、画期的な公害防止体制をつくりあげた。具体的には、原告側が因果関係の連鎖を証明せずとも、被告の工場に無過失責任を負わせることを、民法709条を根拠として認めたのである(四日市ぜんそく事件)。
■また、雇用機会均等も裁判所が政策形成をした事例である。具体的には、女性授業員の退職事由に結婚を含めることについて、民法90条を根拠として、男女差別であると裁判所は判断を下した(住友セメント事件)。
■このように、新たな社会問題について行政や立法が十分に対応できていない状態において、裁判所は新しい社会規範の形成に積極的に関与してきた事例が散見される。たとえ日本の裁判所であっても、制定法の解釈だけという消極的な役割だけではないという点を忘れてはならない。
■そこで、9月16日に始まった京都朝鮮学校に対する「いやがせ」事件である。原告の弁護団は、在特会のメンバーらを単なる威力業務妨害名誉毀損だけでなく、差別的言論に対する新たな規範形成も視野に入れていると言われている。裁判所がこうした原告の意図をどの程度踏まえて、訴訟指揮を行っていくのか、最終的な判決を下していくのか、現時点では全く不明である。
■ただ一つ言えるのは、この裁判自体は大きな契機になることは確かだたということである。心苦しい言い方だが、原告の希望通りにいかなかったとしても、この裁判をきっかけに、差別的言論をいかに規制するかということは大きな社会問題にならであろう。それが法規制という強固な体制に結びつくかどうかまでは別にして、争点として注目されることは間違いない。先に示した事例のように、裁判所が、今社会で望まれる新たな規範形成に積極的な役割を果たしていくことを望まずにはいられない。

参考文献
ダニエル・H・フット『裁判と社会』(NTT出版、2006年)